腹巻き帽子の2作目を編んでいる。
棒針編みは小学校の時に母に教わりマフラーを編んで以来ウン十年ぶり。
いい時代になったもんだなぁ、と思う。
検索窓に「〇〇〇 編み方」って入力すればレクチャーしてくれる動画やブログがザザーーっと出てくる。
ワタシは見て覚えるタイプらしいので、YouTubeにはホントに助けられてる。
本のイラストと説明文ではなかなか出来なかった着物の着付けができるようになったのもYouTubeのお陰だし、編み物と再会したのもYoutubeだ。(が、ここ1年着物は着てないな・・・)インターネットの存在と、画面の向こうの手仕事が得意な方々が動画を作ってくれるから、新しい趣味を楽しめている。ありがたいことだ。
五十路になってもなお自らの手で出来ることが(上手いか下手かは別にして)増えるのは、自分にもまだ伸びしろがあるんだと嬉しくなる・・・というのは以前の記事にも何度か書いている。
いつも読ませて頂いている、櫻木ゆめのさんのブログの今日の記事を読んで、「『自立した生き方』ってなんだろな?」と考えてしまった。
人間、物事を何もかも1人で行うのは不可能だ。
記事冒頭のインフルエンサーの文章、ゆめのさんは「違和感」と表現していらしたが、ワタシは、
「なんかすごい上から(目線)やな・・・」
って思ってしまった。
(「エビの殻むきぐらいでドヤ顔されても・・・」ってまさにその通りで笑っちゃったし、「他者を介すればもたつくことが多い」って何様だよ、と)
人間社会は経験と知恵の歴史の重なりで成り立っている。
誰かの手を全く借りずに生きてきた人なんていない。
勿論自分の手で出来ることが増えるのは、いくつになっても嬉しいし、楽しい。
それにしたって誰かから聞いたり教わったり、本を読んだり動画を見たりして、段々と経験を積んでいくわけで、必ず誰かの手を介している。
新しいアイデアを生み出す人
それを形にしていく人
何かを育んでいくのが得意な人
経験や知恵を情報として人につなげていくのが上手い人
色んな人のお陰で生活が成り立っていると思うと、多少苦手なことがあっても別にいいじゃん、って気楽になるし、感謝の気持も湧いてくる。
「自立ジリツ」って肩肘張らなくても、今自分が出来ることを日々淡々とやっていればいいんじゃないかな!どんなに「すべて自分でやるぜ!」って思ってても知らないうちに必ず誰かの手を借りているんだしw