コロナ禍中の別れ

長期入院していた父が先日亡くなった。

 

おいおいブログなんか書いてる場合じゃないだろうと思われるかも知れないが、何と亡くなった日から葬儀まで、10日も空いてしまった。斎場の予約がなかなか取れなくて・・・。

 

葬儀屋さんとの打ち合わせをしつつ、諸々の手続きを妹と手分けして始めたんだけど、現在諸々待機状態で。パート先の忌引休暇は亡くなった日から連続5日なので、来週2日間は出勤しないといけないんだけどなぁ。そんなわけで今は葬儀屋さんの詳細見積書待ち、銀行の手続書類待ち、保険会社の手続書類待ち・・・である。

 

 

 

父は長年患っていた糖尿病が進行して、6年前に片足を失ってから老健施設に入所した(母が癌再発で亡くなったのもその頃のことで、2015年から2016年は父とワタシ達姉妹にとって辛い時期だった)。リハビリして、車椅子でトイレに行ったり松葉杖を使って歩く練習などもしていたが、病状はジワジワと進み、施設では血糖コントロールが難しくなった。そして病院へ入院となった。

 

入院当初は施設にいたときと同様に、リハビリをし、トイレには車椅子で行き、妹の差し入れの新聞を読んだり本を読んだり。それがいつしかベッドの脇にポータブルトイレが置かれていることが増え、車椅子がなくなった。

 

それでもお見舞いに行くと嬉しそうに現役時代の会社の話をしたり、その頃仲良くしていた同僚のことや、目をかけていた後輩の話をして懐かしんだり、近況報告を嬉しそうに聞いてくれていた。

 

ある時、「また来るからね」と手を握ったら、父が涙ぐんだ。寂しい思いをさせている。もっとお見舞いに行く回数を増やさなきゃな、たった一人の孫の顔ももっと見せてやらなきゃな・・・と思いながらも、ムスメは遠い場所に進学したりで、なかなか難しく・・・。

 

そんな事を思いつつ迎えた2020年。

1月2日にワタシ一人父の病院に赴いた。あけましておめでとうの挨拶をし、近況を報告したら、あとは何を話そうかな・・・と思いながら病室のカーテンを開けた。父は気持ちよさそうな寝息を立てて眠っていた。

「お父さん、来たよー」と声を何回か掛けたけど目が開くことはなく。1時間ほど父の寝顔を眺めていたら看護師さんが「今日、お風呂に入ったんですよ。気持ちよかったって言ってたけど、ちょっと疲れちゃったみたいですね」と声をかけてくれた。起きる気配もなく、看護師さんに「長女が来たって伝えて下さい」と伝言をお願いして帰宅した。

 

その後あれよあれよという間にコロナ禍で、病院は面会できなくなった。妹は毎週末差し入れを続けてくれていて、1度だけ窓越しに会わせてもらった、と言っていた。ワタシは仕事柄人と接する機会が多いのでお見舞い自粛していた。でも、お正月寝顔を見たきりで、父がどうしているのかずっと心に引っかかっていた。そこで、人生はじめて父に手紙を書いた。何を書いたらいいのかわからず、便箋何枚も書き損じてようやく手紙を完成させて投函したのが12月初旬のことだった。(結局お見舞いに行けない言い訳のようなしょうもない手紙だった・・・)

 

年が明け、1月の終わり。

妹から連絡が入り、久しぶりに主治医の先生と面接するから一緒に来てほしいとのことで病院に行った。コロナはまた増えているから主治医との面談だけだと思っていたが、特別に短時間の面会が許可された。病状が良くない、残ったもう片方の足も壊死してきていて、傷口から細菌が入って高熱を出してようやく落ち着いてきた所、という話だった。今すぐにどうこうではないけれど、もう先は長くはないんだな、と。

 

父と再会し、妹とワタシが口々に近況報告するのを、父はニコニコしながら聞いていた。「さっきのお昼ごはん何食べた?」と聞いたら「なんかわかんないけどまずかった」なんて言ってたから、「まずいなんて文句つけるぐらいだから元気じゃん!」なんて話してたんだけど・・・その10日後だった。

 

前日の夕食を途中まで食べて、最期の言葉が食事介助の看護士さんに言った「もういいや」だったらしい。未明に逝ってしまった。妹が駆けつけたけど間に合わず、ワタシも夜が明けた頃に知った。

 

 

 

どうにか亡くなる数日前に短時間でも会うことが出来てよかった。主治医の先生のはからいに感謝しか無い。長いこと会えないまま亡くなってしまうということも今は多いだろうし・・・。

 

うちの父は年相応の物忘れはあるけれど、認知症ではなかったので、コロナ禍のことも看護士さんや医師との会話や差し入れの新聞などでちゃんと認識していて、ワタシ達が面会に来れないこともちゃんと理解していた。・・・が、やはり週末の妹の来訪や、時たまワタシが訪れるのが唯一の外の世界との繋がりだったはずだ。それが絶たれてしまって気力を失ってしまったのかな・・・。

 

思春期には父に反抗し、その後何となく疎遠になった。でもやっぱり父は父。

小さい頃に父が語り聞かせてくれたことが、今も自分の中に生きている。

(社会家計科目だけは好きだったのは父の影響だ)

 

とりとめない一人語り長文をここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

どうか、早くコロナ禍が過ぎ去りますように。

家族と会いたい時に会える世の中に早く戻りますように。