昨今のミニマリスト界隈を見てオバハンなりに考えてみたこと

ここ1〜2年、ミニマリストやめます、みたいなブログや動画投稿をよく見かける。やめる理由もそれぞれあるようで。

 

見てて、ミニマリストって手段であり通過点なんだよなってつくづく感じる。

 

たくさんのモノに囲まれて暮らしていたのが、何らかの理由でモノを減らし始め、いつしか少ないモノで生活するようになる。そして、モノを買う時間や買ったモノの維持管理の時間、意味のなくなった人間関係や不要なサービスを断つ事でできた時間や空間を何に振り向けるのか。それこそが本当にやりたい事だったり人生の目的なんだろう。

 

そこに到達でき、ミニマルな暮らしがごく当たり前の日常になっていたら、自分から「ミニマリストです」って名乗りもしないと思う。ミニマリストとして情報発信していた人たちが「ミニマリスト止めます」っていうのはそのカテゴリーに属することがあんまり意味がなくなっているからだろう。

 

 

ワタシには御大層な思想や主義なんかない。暮らしを小さくして出来た時間や空間を趣味や娯楽に充てたかったのと、多すぎるモノ、煩わしく手に余ると感じるコトが多すぎて、うんざりしてたというのもある。ただそれだけのことに「〇〇リスト」なんて自称することには違和感がある。

 

ミニマリストインフルエンサーとも言える、ミニマルな暮らしがそのままお仕事になっているような方も中にはいるけれど、ワタシ達の大半は「自分らしく生きるために」ミニマルな生活を選択した人が大半なのではないかな、と思う。だから呼称はどうでもいい人もいるし、自分がどういう人間か他人にわかりやすくするためにミニマリストを名乗っている人、ミニマリストという言葉がしっくり来るからそのまま利用している人など様々いるだろう。

 

そこの所は自由だと思う。だから「あんなにモノが多いのにミニマリストなの?」とか「〇〇を持ってるのにミニマリストなの?」って言ってくる人に対しての予防線を張るという意味もあるだろうけど、「〇〇を持ってます。理由はこうこうで・・・」という説明を見聞きすると、「ええんよ、自由にすれば~!それがあなたのやり方なんだから~」って言いたくなる。(まぁワタシも興味あるから見てるんだけど)

 

自由な分ミニマリストという言葉の意味がぼやけてしまっているんだろうな。いや、そもそもミニマル(最少)というのが人によって違うから、ぼやけてしまうのは仕方のないことなんだろう。

 

とりとめなくなってしまったが。

 

ミニマリストというのは暮らし方の流儀みたいなもんで、大事なのはミニマリストになったその先に、自分がどうしたいのか、っていうことだと思う。大量生産大量消費ですべてが過剰になっている所に、颯爽とミニマリストという存在が登場し、流行したけれど、そろそろブームが一段落して、ことさら名乗ったり主張する必要がなくなっていく兆しなのかなー、と。

 

なんかエラそうにスイマセン。

 

追記:2021年8月19日文章の一部を削除し、更新