家庭科の授業のトラウマをツラツラ語る

まぁいつもの与太話として聞いて下さいまし。

 

ワタシ、今でこそ編み物をしたり和裁教室に通ったりしているが・・・

 

学生時代の家庭科の授業が大嫌いだった。

 

1つの出来事がキッカケだった。

小学校5年生で縫い物の基礎を教わってた時のこと。

 

「玉結び、並縫い(運針)、玉止め」

 

の一番最初の授業の時、風邪ひいて学校を数日休んでしまった。遅れを取り戻そうと母に教わって一応縫えるようにはなった。が、そもそも大人数の授業で「こうやって縫いまーす」って遠くで見せられても手元が見えない。先生が回ってきても1人に時間を割けないから、自分がちゃんと出来ているのかわからない。取り残され、つまんなくなっていく。

 

最後に、並縫いのテストがあった。

縫い目は大小様々のガタガタな縫い目でまっすぐ縫えておらず、かろうじてちゃんと出来ているのが玉止めだけという有様。

 

 

その並縫いのテストが返却された。

同じ班のYくんが「おいお前どうだった~?」なんて色んな人に話しかけていた。ひどい出来という自覚があったワタシはとっさに隠そうとしたが、Yくんに目ざとく見つけられ取り上げられた。で、声高に

 

「コイツ男の俺よりひでえ!!すっげえヘッタクソー!!」

 

と叫んで隣の席の男子とゲラゲラ笑っていた。その後のことは記憶にないがきっとこんな顔になっていただろう。

 

いまだに当時の光景が目に浮かぶし、以降高校卒業まで家庭科の授業、とりわけ裁縫系の授業は嫌いになった。高校の時など、知り合いの裁縫上手なおばさんに教えてもらう体で、結局ほとんど作ってもらって作品を提出したことすらあった(我ながらドン引き)。

 

その苦手意識は大人になっても続き、ムスメの幼稚園や小学校で使う巾着袋や防災頭巾カバー、雑巾類は買って持たせた(ミシンも持ってなかったし)。ボタン付けすら露骨に「え~」なんて顔をしかめて嫌々やる有様。

 

オバハンになった今、学校の家庭科教育に思うのは・・・

 

本当に評価・点数付けが必要な科目なのか?(テストとか習熟表とか)

 

コレに尽きる。

 

子ども、若者に家庭科を教える意味って「生きる術」の1つを身に着けてもらう事ではないの?

 

点数つけたり評価したり、軍隊式にお仕着せで教え込む事に向いてないと思うんよね。そういうのって楽しくないから嫌いになる人が一定数居るんじゃないかと思う。

 

今の時代料理が出来なくても生きていけるし、衣料品は大量生産されててちょっと劣化したらサクッと買い換えることも出来る。だがご飯が炊けて味噌汁やカレー位が作れれば安上がりだし、ボタン付けや繕い物が出来ればすぐに買いに行くこともない。ずっと「一択」だけで人生を渡っていくのはハードだけど、「二択、三択」あれば生きやすくなる。

 

子供の頃楽しんでやったことって結構覚えてるもので、編み物も「あー、そうそう、こうだったよね」って思いながら手を動かすことが出来た。やっぱり子どものうち、若いうちに楽しみながら覚えたり学んだことが、一番身につきやすいし強いよね。

 

 

 

余談だけど、山田五郎さんのYouTubeの過去のライブ配信の切り抜きの内容に共感!サムネイル画像だけで内容が伝わると思うので貼り付けておく~。


www.youtube.com

 

4:49~5:30

(日本の教師は)物事を嫌いにさせる事が世界一って言ってたけど、ほんとだなぁって思う・・・