「寂しい生活」を読んでの気づき

稲垣えみ子さんの「寂しい生活」を再読。

東日本大震災原発事故をきっかけに、個人的脱原発を実践するようになった稲垣さん。

 

そのミニマルな生活ぶりを通して、本当の豊かさって何だろう?と考えてしまう。

文体が軽妙だからスルスルと面白がって読めてしまうんだけど、「稲垣さんとおんなじ生活をしてみんしゃい」って言われたら、「イヤイヤイヤ、無理無理無理」と即答するのはワタシだけじゃないだろうw

 

この本の中で稲垣さんが「私は掃除が嫌いなんじゃなくて、掃除機が嫌いだったんだよお母さん!」と言っているのだけど、同感。この本は一貫して稲垣さんのこういった沢山の「気づき」に彩られている。読んでいて、

 

自分がこれまで当たり前だと思っていた物事や価値観を、一度棚卸しして見ることの大切さ

 

がこの本のテーマの1つなのかな、と思った(ワタシはね)。

 

家電をやめる、というのはすごくセンセーショナルでインパクトが大きいし、文体のせいで笑いながら読めてしまうんだけど、我が身に置き換えると冒頭にも書いたように稲垣さんのマネはとても出来そうにない。

 

だけどワタシ自身、動機は「個人的脱原発」な稲垣さんと違うけど(面倒くさがり屋でズボラで低バイタリティゆえの暮らしにくさ)、家電に限らずモノを減らし、暮らしを小さくしてきて、

 

家事そのものが嫌いなんじゃなくて、家事に追われるのが嫌い

 

だったと気づいた。

 

沢山のモノを減らしてきて「なんだ、ちゃんと自分で(家事を)コントロールできるじゃないの」と思えるようになった。そう、たとえそれが些末なことでも自分でちゃんと出来ている、というちょっとした充実感や達成感は幸福感に繋がる。「あれを手に入れれば生活がもっと楽になる」「これを買えば自分の時間が増える」とモノを増やしても、嬉しいのは一瞬。持っていることに慣れてきて、次から次へと物欲の虜になっていく・・・きりが無い。そんな人生はゴメンだ。

 

確かに家電は生活を便利にしてくれた。でも結局人間が使う道具なのだから、その道具をどう使いこなすかはその人次第。さらに言えばどんな道具を使うかも、道具を使うも使わないも自由なのだ。そう考えると、この日本で生活できるということは相当恵まれているということだ。だって、選べるんだから。

 

 

 

余談だけど・・・

この本の中にも紹介されている大手広告代理店電通の「電通戦略十訓」、詳しくは検索すると出てくるので興味のある方はご覧あれ。1970年代に作られたというから相当古いが、今もこの十訓は生きているなぁと感じてイヤ~な気分になった。ワタシゃ経済を回すために生きてるんじゃないぞ!!