一汁一菜の淡い幸福感

暑い!!

 

こう暑いと食事を作るのも億劫ぅぅーーー!

 

と思ってたのは去年の夏まで。

この夏は淡々と一汁一菜を作り食べている。

 

まぁ、朝は前日の残り物だし(と言うか、朝に作る気がしないので夕飯をあえて多めに作る)、出勤日はおにぎり持参か社員食堂でお蕎麦か定食を。まともに作るのは夕食ぐらい。ご飯は炊飯器が炊いてくれるし、お味噌汁を具だくさんにして、おかずも簡単なものばかり。冷蔵庫から出してお皿に盛るだけなんてこともしばしば。20分もあれば充分な食事を準備できる。圧倒的時短、そして拍子抜けするほどのラクチンさである。

 

それだけのことなのに、じんわりとした幸せ感を感じるようになってきた。

 

  • 仕事帰りの「あー・・・夕飯の支度しなきゃ・・・」という億劫感
  • 「今日は何にしよう・・・」と迷ってムダにスーパーをウロウロしたり
  • 疲れて惣菜を買って帰ったり、外食してしまった時のうっすらとした罪悪感
  • 家族3人分の食料品の買い出しの大変さ
  • オットやムスメの好みやスケジュールを考慮して食事を準備しても報われず
  • おかずのレパートリーを増やそうとレシピ本を読んだり
  • 健康のために栄養バランスや食事法に凝って食費が掛かり過ぎてしまったり
  • せっかく作り置きをしても家族が1食で食べきってしまったり
  • 逆にせっかく作り置きをしておいても食べてくれず、何日も食べ続ける羽目になったり

 

・・・なんて空回りからすっかり解放されたし、自分の好物しか作らないんだから、そりゃあ幸せになるわけだ。

 

家族に「あれ美味しかった、また作って」って言われるのも勿論嬉しいし、あっという間に食べきってくれるのは喜ばしいことではある。だけどそれが日々の食事作りのモチベーションアップにはつながらず。やっぱり義務感とかプレッシャーの方が強かったんだと思う。

 

そうそう。

おいしい、ということが必ずしも重要じゃないんだということがわかってきた。

おいしいことに越したことはないんだけど、毎回おいしいものを食べなくてもちゃんとお腹は満たされ気持ちはちゃんと解れるのだ。「今日は味付けが濃かった(薄かった)」などと感じることも心身の好不調のバロメーターだと思えば決して「失敗」ではない。

 

ご飯が炊けてお味噌汁を作ることさえ出来たら、それでOK。何より、地味な一汁一菜生活を続けていることで、「自分の食べるものを手抜きしないでちゃんと作ってるもーん」というナゾの充実感すらある。昔の自分に「そんな身の丈に合わん頑張りは捨ててしまいなはれ~★一汁一菜ええよ~」と教えてやりたいぐらいだ。

 

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ご飯と味噌汁推しだけど、パンやパスタとスープでも、麺類におかず1品でも一汁一菜!