終活としてのミニマルライフ

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オットの両親と弟、自分の両親を見送ってきてつくづく感じるのは、

 

あの世に行くときは身一つ、沢山のモノは要らないなぁ

 

ということだ。

 

ご多分に漏れず、両家とも遺品整理が大変だった。

両家、と書いたがワタシの実家の場合は主に母が溜め込んだモノが中心。

 

父が残したのは、衣類が少しと衛生用品(爪切りとか髭剃りとか)と書類やアルバム。施設や病院での生活が長くなっていたからというのもあるけれど、元々持ち物少ない人だった。戦中生まれとしては異色かも知れない。ワタシもあの世へ逝く時はこうありたい、と思う。

 

 

定年退職してから、徐々にモノを手放し始めた父。

休みの日は釣りだゴルフだ旅行だと家にいることが少なかったのだが、仲間や後輩が定年だ、UターンだIターンだ、転勤だと散り散りになっていくに連れ、ゴルフや釣りから遠ざかっていった。

釣り道具、ゴルフ道具一式、そして車がどんどん人手に渡っていった。車なんか殆ど乗ってなかったからと、タダ同然で知り合いにあげてしまったらしい。気づいたら駐車場から車がなくなっててビックリした。本当にサクッと手放していったのを覚えている。

 

父とは対象的にやたらと買い込み溜め込む母に「ちゃんと片付けろ!!」と時々語気を荒げてたぐらい、基本的にはあんまりモノがないこざっぱりした状態を好む質だった。

 

父本人に終活という意識はなかっただろうけど(というか父が定年になった1990年代後半はそんな言葉すらなかったが)、今だったら処分に困るであろう大物を自ら手放してくれていたのはありがたいというのが本音である。

 

定期的にモノの見直しをしていく習慣はこれからも続けていこう。

ウチは一人娘だし、親のモノの処分で困らせないように。

何より持ち物は少ない方が暮らしやすいというのもあるけれど。