南北先生はひたすら少食→積徳→開運を説いた

こちらは水野南北の『修身録』の解説本。 

江戸時代の小食主義――水野南北『修身録』を読み解く

江戸時代の小食主義――水野南北『修身録』を読み解く

 

 

ひょんなことからこの本を知り、ザッと一読を終えた所。

なんだかね、物心がついてから今までの「食」を思い浮かべると、「だから自分は今うだつの上がらぬパートオバハンなのか」と思わざるを得ない。特に若い頃は何やかんやとよく食べてたもんなぁ・・・。

 

水野南北は江戸時代の観相家、今で言うと「人相占い師」。

10歳で盗みを覚えて以来、酒やケンカや博打に明け暮れて牢屋に入る。

牢屋から出てきて人相観に見てもらったところ、「死相が出てるよ!」と言われ、運勢を改善する為に高僧に出家を願い出る。「半年間麦と大豆だけの食事を続けられたら弟子にするよ」と言われ、素直に実行するあたりがスゴイ。

実際半年麦と大豆だけの食事を続けたら、死相は消えて運勢改善してしまったのだ!

この体験から観相に興味を持ち、髪結いの見習いや湯屋の三助業、火葬場などで働きながら観相の研究に明け暮れ、観相の大家となる。

享年は諸説あるようだけど70代後半のよう。

 

で。

南北先生は観相学の大家だから勿論「こういう顔だとこういう運勢」みたいなことをやっていたんだと思うんだけど、そこで終わらず自らの体験からひたすら「少食」推し。

 

少食でありかつ厳重な定まりある者は、たとえひどい運の持ち主であっても、それなりに福があって、また長寿を自分のものにする。暮らし、物事はおおよそ調い、老年にはよい思いもするだろう。弱々しい風貌に見えても病気はしない。

 

「修身録」第一巻十一 

 

では何故そうなるのか。

少食の者は、おのれの持分の食を日々天地に返し、預けているのと同じだ。だから天命にさしかかっても、その食にはまだ残りがある。食ある限りいのちあり。死には至らない。

その食が尽きるとき、いのちもまた亡びる。

 

「修身録」第一巻三十五 

 

で、個人的に「うっ」となったのが以下。

禄を定めたいと願う者は、まず食を定めるがよい。それを大きい禄にして定めたい と願うならば、食を少食にして定める事だ。

 

「修身録」第一巻三十八

※禄:(官吏や封建武士が受け取る)給料の事。 

 

こういった具合にひたすら少食を説いている。

「人相占い」の大家でありながら人相の吉凶判断など全く重要視していない。少食かつ粗食(自分の生活レベルで食べられる物よりも質素な食事という意味で)にしていれば、凶も吉に転じるし人相もおのずと良くなってくると言い続けている。とにかく3年は少食を続けてみよ、とも。南北は少食を広めるべく自らの食も厳しく律した。米飯は生涯食べず、麦を1日1合5勺。餅も米の形が残るなら食べない。お酒が大好きなのはご愛嬌だけどそれも1日1合を厳しく守ったという。

 

食べる事は人間の基本的な欲求だから、それを慎むと言うのは難しい事だと思う。ワタシは別に出世などは望んでいないけれど、サイフを覗いてため息つくような生活は早く抜け出したいし、心身ともに身軽になりたい。だから少食になりたいのだ。