ワガヤが経済的に厳しい状況から抜け出せないのは何故か?その3

前記事で「はっきり意思表示をしないとどういう顛末を迎えるか」ということを、オットの弟の葬儀のエピソードを絡めて書いた。

 

なにも親戚づきあいの話に限ったことではない。

仕事の場でも、家庭内でも、ついつい「イエスマン」になってしまいがちなのがお人好しである。

 

子どもと言うのは親のそういう態度を良く見ている。

 

親に似てお人好しな子も育つだろうし、親に付け入り利用する子も出てくるだろう。残念ながらウチのムスメは後者である。

 

大学進学にあたって彼女は奨学金を借りた。借りたが・・・ワザと借りる予定金額を下げた。当然生活費が足りなくなる。

 

最近お金が足りないと無心することが多いのでよくよく聞いたら上記のような答えが返ってきた。将来奨学金を払える自信がない、と言ったが、要は自己責任を負いたくないのである(とワタシ達夫婦は解釈している)。そして、親が何とかしてくれるし、そうあるべきだと思っているフシがある。おそらく周囲の友達は親が費用を出してくれている子が多いのだろう。

 

散々親戚や兄妹に煮え湯を飲まされてきたウチのオット、もうひねり出せるお金はない。ワタシのパート代も殆ど生活費だが、どうもムスメはワタシのパート代をあてにしているようである。

 

こうなってしまったのも、ワタシ達がマジメにムスメの将来を想い、やりたいようにやらせてしまったツケが今、きているんだと思う。私立の女子高に進学したいと言えば無理して家庭教師をつけた。部活の費用や遠征なども出し続けた。専門学校への進学、大学進学・・・親としては、ムスメを一人前にする為という思いがあったが、正直もうこれ以上のことはしてやれない。

 

今後どうするかはムスメに決めさせる。もう二十歳なんだし。お金のない家に育っても、勉強する人は何とかして勉強するもんだ。一旦就職しても通信制大学と言う手だってあるし。

 

一人娘だからと甘やかすつもりはなかったが、結果的にそうなってしまった。

お人好しは子育てにも悪影響である。

子どもに対しても時に断固たるNOが必要だったという反省文である。