インスタ映えする戦国時代

ムスメはワガヤに帰省すると大体風邪ひくんだけど、「横になっててもヒマだからインスタ映えする戦国時代』って本買って来てー!おもろいらしいよー」というので、ほお!珍しい!!ムスメの口から歴史ワードでた!と思って仕事帰りに書店で購入。なんでもツイッターで話題になってたらしい。

(ちなみにウチのムスメは歴史に一切興味のないタイプ)

 

インスタ映えする戦国時代

インスタ映えする戦国時代

  • 作者:スエヒロ
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2019/06/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

(案の定)一読して飽きたらしくワガヤに置き去りになってしまったので、読んでみた。

 

歴史に詳しくない人が読んでも、普段使ってる見慣れたアプリやSNSなんかがモチーフになっているし、戦国武将のLINEのトーク画面なんか現代の若者の口調そのままで非常にわかりやすい。完全なる歴史パロディ・・・と思うなかれ、結構注釈が詳しいからケタケタ笑いながらも一通りの戦国時代の知識がついちゃう1冊。

 

個人的に面白かったのが

 

 

SNSを始め、ネットでおなじみの画面に戦国武将の肖像や絵図がうまくはめ込まれていて感心してしまった。戦国武将がスマホ使ってたらこんなんだろうな、とつい思ってしまうぐらい。

 

日本史の教科書なんかこんな風に作りこんだら勉強楽しいんじゃないかな!?

(幕末ネタ希望!!)

 

 

 

生まれて始めて財布を落とした顛末

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使いまわしの写真だが現在使用中の財布(前)

財布を落としてしまった。

 

仕事を終えて、さあ給料をおろすぞ~と郵便局に立ち寄った。が!!!

 

リュックのポケットに入れたはずの財布がないっ!!!血の気が引いた。

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ルートートのリュック。ファスナーポケットが左右にある。

 

あわてて職場に取って返しロッカーを漁ったが、財布の姿はどこにも無かった。

 

朝、駅の改札を財布に入ったSUICAでタッチして通過したわけだから、おそらく駅から職場までの道のどこかで落としたはずだ。職場を出て目を皿のようにしながら下を向いて駅前まで歩いたけれど、当然あるわけも無い。

 

駅前交番にてかくかくしかじかと財布を落としたことを説明。遺失物届けを記入して提出を勧められて従った。仕事とは言え、おまわりさんって大変だよね。財布を落としたショックでついつい聞かれていない事までまくし立てるオバハンに、おまわりさんは嫌な顔一つせずウンウン大変ですねと聞いてくれた。

 

財布を落としたこと自体もショックなんだけど、よりによって給料日に、キャッシュカードやクレジットカードに保険証まで大事なものが一挙に無くなった不安もキツイ。しかも、拾って悪用しようとした人に「ショボイ・・・金入ってねーじゃん・・・」と思われてるかと思うといてもたってもいられなかった。仕方ない・・・家でクレジット止める電話とか銀行にキャッシュカード紛失したって電話をしなきゃなんないし、小銭入れに入ってるのは20円だから・・・歩いて帰ろう・・・4~50分ぐらい歩けば着くだろう・・・と考えながらおまわりさんに挨拶して交番を出て歩き出した。

 

そこでふと、もしや駅で落とした可能性はありやなしや!?・・・と思いついて、駅で改札業務をしてた駅員さんに、財布の届出はなかったかを聞いてみた。多分無いだろう・・・と思いつつ、財布の特徴を伝えると・・・

 

駅員さんは大きなスチール棚の引出しから「これですかねぇ?」と、ビニールに包まれたワタシの財布を出してきてくれた。「そーですっコレですっ!!ありがとうございます~~~!!!!!」と叫んでしまった(恥)。

 

駅員さんは事務的に「じゃあ身分証明になるものを確認させて下さい」と言ったので、「あ、財布の中に保険証が入ってます」と答えると呆れ気味に、「いやぁ、落とした財布の中の物では証明になりませんので顔写真付の社員証とかないですか?」と言われてしまった(恥恥)。仕事帰りだったのが幸運。社員証見せたら財布が手元に戻ってきた。

 

こうして何とか事なきを得て、オットの口座に入金する用事を済ませることができ、グッタリ疲れて帰宅。

 

で、何故財布を落としたのだろうか?

 

リュックのポケットは左右どちらのファスナーからも出し入れが出来るような構造。右のファスナー開けて財布を入れたのに左のファスナーが開けっ放しになっていて、何かの拍子に落ちてしまったようだ。マヌケである。

 

財布を拾って届けて下さった方、どなたか存じませんがありがとうございます。そして駅員さんにおまわりさん、お騒がせしました。

 

 

ミニマル生活を始めて「実はいらない」と気づいたもの②

ひたすらいらないと気づいたものを羅列していく記事の第2弾。

 

 

新聞・雑誌の定期購読

  • 新聞や雑誌の定期購読と単発購入をやめてもうかれこれ10年以上経つけど無問題
  • 資源回収に出すのが面倒と言う理由でやめたが大正解
  • 必要な情報はネットで掴めばいいし、深堀したかったら本がいい
  • 新聞によってはかなり偏向してるし
  • 広告ばっかり
  • 雑誌は記事が企業とタイアップしてるのばっかり

 

プリンター

  • コンビ二でプリントアウトできるし家庭用プリンターよりキレイ

 

やかん

  • 2ℓサイズをずっと使ってるけど鍋で代替できるから個人的には手放したい
  • 大量にお湯を沸かす事が殆ど無い

 

収納用品・収納家具

  • 理想は作りつけ収納ですべてまかなえること
  • 実際は無理な話(狭小賃貸では)
  • 作り付けの収納の不足部分を補う為に最小限あればいい
  • 使いもしないモノを収納する為の収納用品や家具はムダでしかない
  • これに気づくまで相当のお金をムダに収納用品や家具につぎこんでしまった

 

壁掛け時計

  • そもそも設置した事ないけど
  • 無いことにすっかり慣れている
  • 狭い家だからちょっと動けば台所の置き時計やスマホで時間確認できる

 

インテリア装飾雑貨

  • 折角のかわいい雑貨もズボラにかかればホコリのせにしかならない

 

年賀状

  • サービス業だから年末の慌しいさなかに年賀状書くのは無理
  • 年賀状出さないから疎遠になってしまうならそれまでの仲、と割り切った

 

弁当箱

  • 色とりどりの沢山のおかずがちょっとずつ入ったお弁当を作るのは苦行だった
  • 今はおにぎり基本。おかずある時はタッパー。軽くて良い。

 

壁に掛ける家族写真とか

  • 折角の家族写真もズボラにかかればホコリのせにしかならない
  • というかワガヤ家族写真なんて撮ってないことに今気づいた

 

卒業アルバム

  • もう何年も前に処分した
  • デカイ嵩張る見返さない
  • 思い出は心の中にある
  • 思い出せないならそれはそれで仕方ない

 

スーツ

  • 必要時にレンタルで十分(ただし訃報は突然なので喪服は持つ)

 

冷蔵庫の棚板や卵ケース

  • デフォルトのまま使い続ける必要など全くなかった
  • 使い勝手を良くするために不要なものは外すべき

 

CD、DVDなど

  • 配信サービス利用すれば物理媒体はいらない
  • 一昔前に比べて配信サービスが使いやすい

 

料理の作り置き

  • ワガヤでは下処理と半調理をやっておくぐらいが丁度いい按配
  • 完成された料理を食べ続けると飽きる
  • 日本の主婦は料理に手間暇かけすぎ、一人で背負い過ぎ
  • ドイツの「カルテスエッセン(冷たい食事)」が合理的
  • しかし日本でカルテスエッセンを毎日完コピするのは高くつくし不評を買いそう
  • 一汁一菜プラスαを淡々と続けるのが現実的、たまにカルテスエッセン挟めばいいな
  • そもそも何でおかずの品数多くしなきゃなんないのか理解に苦しむ

 

世間の常識

  • せめて家の中ぐらい世間の常識忘れたいんだが 
  • 世間のことを気にしすぎると何も出来ない
  • ひたすらお金の為に働くことから足洗いたい

 

キャニスター型(有線)掃除機

  • ワタシがかつて掃除が嫌いだったのは掃除機が取り回しにくいからだと気づいた
  • 今はフロアワイパーで気づいたら随時掃除+仕事休みの日に掃除機掛け

 

 

 

 

 

ミニマル生活を始めて「実はいらない」と気づいたもの①

 

 

 テレビ

  • ネガティブ情報・どうでもいい情報ばかり大袈裟に取り上げる
  • 偏向報道も気になる
  • というわけでテレビ要らないと個人的には思うけどオットは見るので据え置き

 

本棚

  • 2011年の引越しの時に本棚は撤去した
  • 以降紙の本をどんどん減らした
  • 現在ワタシは紙の本入れ替えしながら3~5冊程度
  • オットの仕事用専門書は現在備え付け下駄箱に
  • それでも入りきらない本はクローゼット他あちこちに分散している
  • 自炊して欲しいけど大量の専門書を自炊する時間とエネルギーは無いな

 

高機能多機能調理家電・調理器具

  • 最近ではヘルシオホットクック
  • ワガヤには合わなかった
  • 高機能・多機能は使う機能が限定される
  • パーツの多いものはメンテナンスも面倒

 

敷き布団

  • 床で寝てみたら思いの外平気だった
  • むしろ腰が沈まずラク
  • 今は冷え込んできたのでアウトドア用レジャーマットを敷いている

 

台所の三角コーナー

  • 生活をシンプルにし出した初期に処分
  • 生ゴミは小さいレジ袋に入れたり新聞紙に包んで処分する
  • ヌメリやカビやニオイを気にしなくて良くなった

 

電気ポットとか電気ケトルの類

  • 確かにあれば便利
  • でも大量に沸かすわけじゃないから鍋や薬缶で十分
  • というわけで定着せず手放した

 

水きりかご

  • 食洗機導入前からなかった
  • これも生活をシンプルにし出した初期に処分した
  • ヌメリやカビやニオイを気にしなくて良くなった

 

長財布

  • 長財布は母のお下がりを1度だけ使ったことがある
  • 収納が多過ぎてつい色々入れすぎてしまう
  • ゆえに重い

 

 

必要以上のメイク道具

必要以上のスキンケア用品

必要以上のヘアケア用品

必要以上の洋服

必要以上の洗剤類

必要以上の文房具

  • 生活する上で必要なものだが、持ち過ぎてしまいがち
  • 自分の生活習慣から必要数を割り出して持つ方が効率的
  • 1つ1つはそれほど大きくないけど、どれも多過ぎると雑然とする

 

固定電話

  • 本当に用がある人は携帯に掛けてくるし連絡ツールはLINEやメールになった
  • 掛けて来るのはセールス電話ばかり

 

バスタオル

  • フェイスタオルで事足りる
  • デカイ嵩張る洗濯量増える

 

トイレマット及び便座カバー

  • トイレマットは掃除の邪魔にしかならない
  • 便座カバーは冬だけつける
  • どちらも地味に洗濯に困る(普通の洗濯物と一緒に洗うのに抵抗がある)

 

明るすぎる照明

  • シーリングライトの蛍光管の寿命が来て数日放置したけど問題なかった
  • え?結構明るすぎたんだ!と気づく
  • 結局蛍光管買ってつけたけど、電球色にした
  • それまで使ってた昼白色より落ち着いていい感じ
  • 台所とムスメが使ってた部屋(今はオットの仕事部屋)は昼白色のまま

 

キッチンマット・玄関マット

  • 掃除の邪魔にしかならないものは不要

 

ラグやカーペット

  • ホコリの元は極力断ちたい
  • 残念ながら家族の希望により冬季のみホットカーペットは使っている

 

 

 

 

 

食べるということをもっとシンプルで地に足ついたものにしたい

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ワタシは四柱推命で食神という星を持っており、一言で言うとのんびり無邪気でマイペース、不思議と衣食住に困らない・・・なんだそうだ。

 

実際「食」には興味を持っていたし、ご縁があるなと思っている。

食と健康に関する本も様々読んできた。

健康的な食の追及が高じて自然食品店では7年も働いてしまったし。

 

その頃沢山本を読んだり、自然食品店で働いた経験から、有機農法とか自然栽培とか、はたまたマクロビオティックとかローフードとかベジタリアンとか知識を得たけれど、結局どれが良くてどれがダメなんてことは無い、というのがワタシの現在の実感である。

 

というのも、健康な食生活を送りたくて、健康知識をインプットして自然食品店に買い物に来る人たちの方が、どことなく不健康そうで幸薄そう・・・というパターン多いなと思ったのだ。「スーパーで売ってない美味しいものがあるから来る」とか「調味料はちゃんと熟成させたものが美味しいからお宅の店で買うけど、他はスーパーとかで買っちゃうわ」「時々B級グルメ食べちゃうのよね~」と適度にゆるい感じの人の方が元気で幸せそうなのだ。

 

かなり厳格に玄米菜食を実践してたおばあちゃんが脳梗塞で倒れたりとか、健康情報に詳しい長年の常連の方が来なくなりご主人が来店するようになり、聞けばご本人は認知症を発症した、とか。マジメに「健康にいい食事」を実践していたのに、病気になってしまうって何だか気の毒だ。

 

そういう常連のお客さん方からの残念なお知らせに接した先輩のパートさんは

「みんな、アタマで食べちゃってるのよ」

と言ったんだけど、確かになぁ、と思った。

健康情報に翻弄されて、素直に「ああおいしい」「ああ楽しい」と感じる事が少なかったんだと思う。沢山のルールにがんじがらめになって、食べる事がこなすべきタスクになっていたのかもしれない。

 

その先輩は「知識をアタマに入れ過ぎて、体の声が聞こえなくなっちゃってるのよね」とも言っていた。う~ん、体の声か。

 

アレは添加物タップリだから身体に悪いとか、お肉や脂っこいものは動脈硬化になるよ、とか、農薬の害がどうのこうのとか、挙げればキリがない。確かにそれは真実なんだろうけど、農薬をかけて作物を育てないと虫害や病気でで収穫量が少なくなるとか、添加物のお陰で保存がきくようになるとか、お肉を食べたお陰で身体が発達した等々、また別の一面もあるのだ。そう考えると、食べちゃいけないものなんか殆ど存在しないのではないのかな・・・とも思ったり。

 

ただどんなものを食べるにせよ、過剰は良くない。それと「それを食べる事によって自分の身体がどんな反応をするのか」ということは注意したほうがいい。身近な食べ物でも人によって反応は様々だ。アレルギーなんかはその際たるものだろう。そうでなくても「お昼に麺類食べると眠くなる」とか、「脂っこいもの沢山食べると胃の調子が悪くなる」みたいなのは誰しも経験する。そういうのを見過ごさないというのも「体の声を聞く」ということなんだと思う。

 

もっとシンプルに、健康情報やグルメ情報も都合のいい部分だけつまみつつも、「食べなれたおいしい物」を日々簡単に調理しながら食べるのがいいような気がする。身体だけじゃなくて精神衛生上にもね。

小さいものと豊かに暮らすー天使のように軽やかにー

ドミニック・ローホーさんの本がきっかけになってミニマ リストやシンプルライフを指向しはじめた人は多いと思う。ワタシもその一人だ。

 

ワタシの場合は「シンプルに生きる」という最初の著作よりもこの本を何度も読み返した。書店で見つけてすぐに購入して、しばらく持ち歩いて読んでいたぐらい。今は手放してしまったけど、たまに読みたくなって図書館に借りに行ったりしている。実は今日借りてきて再読中。

小さいものと豊かに暮らす 天使のように軽やかに

小さいものと豊かに暮らす 天使のように軽やかに

 

 

少数精鋭の、小さく軽いモノを楽しんで使いながら、日々を過ごす様子に非常に憧れたものだ。また、ドミニックさんのモノ選びは実用と美を兼ね備えていて、そこにさらに「小さく軽い」が加わるのだ。値段の安い高いは関係なく、大切に使い込まれている品々の写真を見て、自分の消費生活を大いに反省したものだ。

 

それと今回借りたのはちょっと特別な理由がある。

 

第14章の「フィッシングベスト」を参照したかったからだ。この本でドミニックさんはメッシュ生地のフィッシングベスト(釣り人が着用しているポケットが沢山ついたベスト)を非常持ち出し袋の代わりにする事を提案しているのだ。その事を思い出し、図書館へ。

 

今回の台風19号では自宅待機したけれども、いつ何時避難しなければならない状況に遭うかは分からない。非常用バッグを玄関先に置いておくのは邪魔になるし、重たいバッグを持って逃げるよりも、とっさにベストを着込んで身軽に逃げる方が理にかなっている。初読の後に「これはいいアイデア!フィッシングベストを買わねば」と思ったものの、普段使うものの小型軽量化することばかりに頭が行っててすっかり忘れていた。

 

勿論、14章以外の部分もドミニック・ローホー流モノ選びが写真とともに散りばめられていて、和テイストや伝統的な日本の生活用品が好きな人には目の保養にもなると思う。けれど高価な工芸品とかアンティークばかりでなく、普通のスーパーや100円ショップも使ったりもしているのがいい。

 

1つこの本の難点は、やたらと天使が天使がと、天使推しな所。

 

私は私が目指すべき理想の姿として、いつも天使を意識して暮らしています。

 

とあるのだけど、ドミニックさんの他の著作にはあまり出てこないような・・・とってつけた感が否めない。

 

その部分を差し引いても、折に触れ読みたくなる1冊。

南北先生はひたすら少食→積徳→開運を説いた

こちらは水野南北の『修身録』の解説本。 

江戸時代の小食主義――水野南北『修身録』を読み解く

江戸時代の小食主義――水野南北『修身録』を読み解く

 

 

ひょんなことからこの本を知り、ザッと一読を終えた所。

なんだかね、物心がついてから今までの「食」を思い浮かべると、「だから自分は今うだつの上がらぬパートオバハンなのか」と思わざるを得ない。特に若い頃は何やかんやとよく食べてたもんなぁ・・・。

 

水野南北は江戸時代の観相家、今で言うと「人相占い師」。

10歳で盗みを覚えて以来、酒やケンカや博打に明け暮れて牢屋に入る。

牢屋から出てきて人相観に見てもらったところ、「死相が出てるよ!」と言われ、運勢を改善する為に高僧に出家を願い出る。「半年間麦と大豆だけの食事を続けられたら弟子にするよ」と言われ、素直に実行するあたりがスゴイ。

実際半年麦と大豆だけの食事を続けたら、死相は消えて運勢改善してしまったのだ!

この体験から観相に興味を持ち、髪結いの見習いや湯屋の三助業、火葬場などで働きながら観相の研究に明け暮れ、観相の大家となる。

享年は諸説あるようだけど70代後半のよう。

 

で。

南北先生は観相学の大家だから勿論「こういう顔だとこういう運勢」みたいなことをやっていたんだと思うんだけど、そこで終わらず自らの体験からひたすら「少食」推し。

 

少食でありかつ厳重な定まりある者は、たとえひどい運の持ち主であっても、それなりに福があって、また長寿を自分のものにする。暮らし、物事はおおよそ調い、老年にはよい思いもするだろう。弱々しい風貌に見えても病気はしない。

 

「修身録」第一巻十一 

 

では何故そうなるのか。

少食の者は、おのれの持分の食を日々天地に返し、預けているのと同じだ。だから天命にさしかかっても、その食にはまだ残りがある。食ある限りいのちあり。死には至らない。

その食が尽きるとき、いのちもまた亡びる。

 

「修身録」第一巻三十五 

 

で、個人的に「うっ」となったのが以下。

禄を定めたいと願う者は、まず食を定めるがよい。それを大きい禄にして定めたい と願うならば、食を少食にして定める事だ。

 

「修身録」第一巻三十八

※禄:(官吏や封建武士が受け取る)給料の事。 

 

こういった具合にひたすら少食を説いている。

「人相占い」の大家でありながら人相の吉凶判断など全く重要視していない。少食かつ粗食(自分の生活レベルで食べられる物よりも質素な食事という意味で)にしていれば、凶も吉に転じるし人相もおのずと良くなってくると言い続けている。とにかく3年は少食を続けてみよ、とも。南北は少食を広めるべく自らの食も厳しく律した。米飯は生涯食べず、麦を1日1合5勺。餅も米の形が残るなら食べない。お酒が大好きなのはご愛嬌だけどそれも1日1合を厳しく守ったという。

 

食べる事は人間の基本的な欲求だから、それを慎むと言うのは難しい事だと思う。ワタシは別に出世などは望んでいないけれど、サイフを覗いてため息つくような生活は早く抜け出したいし、心身ともに身軽になりたい。だから少食になりたいのだ。